Dr.しーぼると(MD, PhD)
外科医|疫学研究者|産業医・労働衛生コンサルタント
地方旧帝大を卒業後、いわゆる「東京の御三家」で初期研修を行い、その後は市中病院で外科医として診療に従事。基礎系博士号を取得し、現在は公衆衛生系大学院にて疫学研究を行う一方、産業医・労働衛生コンサルタントとしても勤務。
「基礎医学」「臨床医学」「社会医学」を横断してきた経験を活かし、疫学に関するテーマを初学者にもわかりやすく解説します。
- 「医師」の大学院生には、時間的・経済的に「ゆとり」がある。
- 研究だけでなく、資格取得や副業にも挑戦できる貴重な時期である。
- 永年有効な産業医資格は、その後のキャリアの幅を広げる。
- 法令的背景、社会的ニーズの高まりから、産業医はいま注目されている。
大学院生活は、実は「自由時間」も多い
医師の大学院生は、非医療系の大学院生とは異なる特徴があります。それは「医師免許を持っている」ゆえに、当直や外来などのバイトで生活費を賄える点です。
大学病院の医員として在籍していても、研究に専念できるようベッドフリー(入院患者の主治医から解放される)になるケースも多くあります。
平日日中は研究、夜間や週末は高単価の医師バイト。こうした生活は、勤務医で夜間休日、いつ呼び出されるかわからないという生活からは想像できないくらい解放感がありますよね。
私自身、専攻医時代には、運動をしたい、でもいつ呼ばれるわからないという状況の救世主だったApple Watchでしたが、大学院生時代は、ほぼただの時計と化していました。
金銭的にも安定しつつ、自分の時間も比較的確保しやすいと思います。
この4年間は、ある意味「医師としての人生で一番自由な時期」と言ってもいいかもしれません。起業やスキル習得など、何か新しいことに挑戦するにはうってつけのタイミングです。
今回、その選択肢のひとつとして、「産業医」の資格取得を提案したいと思います。私も大学院生時代に、産業医資格(と労働衛生コンサルタント資格)を取得しました。
そもそも産業医とは?
産業医とは、労働安全衛生法第13条に基づいて、一定規模以上の事業場に選任が義務づけられた医師です。
労働安全衛生法 第13条
「常時50人以上の労働者を使用する事業場ごとに、事業者は医師を産業医として選任しなければならない」
産業医は、企業で働く人々の健康を守る医療専門職であり、診療とは異なる「予防」の観点から健康管理や職場環境の改善に取り組みます。
働き方の詳細については触れませんが、大きく常勤である「専属」と非常勤である「嘱託」の2つの働き方があります。本ブログでは、主に嘱託産業医について触れます(なお、筆者自身に専業産業医の経験はありません)。
資格取得の方法
以下のいずれかの要件を満たすことで「産業医」の資格を取得できます(労働安全衛生規則第14条第2項)。
- 労働者の健康管理等を行うのに必要な医学に関する知識についての研修(※)であって厚生労働大臣が指定する者(法人に限る。)が行うものを修了した者(※)①日本医師会の産業医学基礎研修、② 産業医科大学の産業医学基本講座がこれに該当します。
- 産業医の養成等を行うことを目的とする医学の正規の課程を設置している産業医科大学その他の大学であってその大学が定める実習を履修したもの
- 労働衛生コンサルタント試験に合格した者で、その試験の区分が保健衛生であるもの
- 学校教育法による大学において労働衛生に関する科目を担当する教授、准教授又は講師の職にあり、又はあった者
- その他厚生労働大臣が定める者(現在、定められている者はありません。)
産業医大の卒業生は、2の規定により卒業時に産業医資格を取得できますが、その他の若手医師にとって最も現実的な選択肢は1の規定でしょう。
その中でメジャーな方法としては、下記の2つがあります。
日本医師会主催の「日本医師会認定産業医制度基礎研修会」を受講し、地道に50単位を取得する方法
産業医資格の取得経路として最も多いのはこちらです。
期限はなく、各地方の医師会などが主催する「基礎」研修(更新のための「生涯」研修と間違えないようにしましょう)を受け、順不同で50単位集めます。
2025年6月時点で、基礎研修会は全て対面での実施です(生涯研修は一部オンラインがあります)。
1単位=1時間ですので、50時間を要します。複数回の会場までの移動時間や、勤務調整による機会喪失を考えると、50時間以上の損失はあると思っています。
ただ、10単位まとめて取得!などのプチ集中研修会も開催されていますので、そちらを有効に利用すべきでしょう。
産業医科大学主催の集中講座「産業医学基礎研修会 夏期集中講座」を受講し、50単位を一気に取得する方法
参考までに令和7年度の情報を貼ります:https://www.uoeh-u.ac.jp/medical/training/sc.html
こちらは、産業医科大で例年7月下旬〜8月初旬に2クール開催されます。定員は1クール390人で、4月初旬の1週間で募集が行われます。
倍率が高く、私の周りでも抽選に通ったのは、概ね50-60%くらいです(個人的な印象で、エビデンスに基づきません)。私は幸いにも1発目で抽選に当たり、この集中講座で産業医資格を取得しました。
初日以外は早朝から夕方まで90%くらいは座学です。残りは実習ですが、会場内で実際に装置に触れたりする程度です。
産業衛生に初めて触れましたが、パルス療法ですので、終わった頃にはなんとなく産業医ができるようになった気がします。私はその錯覚の勢いで、講座が終わった翌日に労働衛生コンサルタント試験に申し込んでしまいました…(労衛コンについて別回にてお話ししようと思います)。
全国各地からの参加があり、勤務医の1年に1回の貴重な夏休みを全てつかって受講されている先生方も多数いらっしゃいました。
産業医資格を取得したい、ベッドフリーの大学院生にとっては、これがベストの選択肢だと思います。
間違えやすいですが「産業医学基本講座」と「産業医学基礎研修会 夏季集中講座」は別物です!
「産業医学基本講座」は、産業医大開催なら2ヶ月、東京開催ならば5ヶ月かけて行われます。これは大学院生にはまず受講困難ですので、本気で産業医としてキャリアチェンジする方が対象だと認識しています。
修了者には、産業医学基本講座修了認定書(産業医科大学産業医学ディプロマ)が授与されます。
実務上のメリットとしては、労働衛生コンサルタント(保健衛生)の1次試験(筆記)全科目が免除され、2次試験(面接)のみになります。
一方、「産業医学基礎研修会 夏季集中講座」は、主催は産業医大ですが、認定される50単位は日本医師会のものです。講習修了後5年以内に申請すれば「日本医師会認定産業医」資格が取得できます。
なぜ今、産業医が注目されているのか?
数年前に、初期研修後に直接美容形成に進む「直美」が話題になりましたが、最近は、研修終了後すぐに産業医専業となる「直産」という進路を選ぶケースも目立ってきています。
臨床よりも働き方の自由度を重視する医師が多くなってきているのかもしれません。
産業医が注目されるようになってきたのにはいくつか理由があります。
法令による義務化
企業には50人以上の従業員がいれば産業医の選任が義務付けられています。
そのうえ、2020年施行の働き方改革関連法によって、産業医の機能強化(面談指導の義務化など)が進み、ニーズは増加傾向にあります。
メンタルヘルス問題の顕在化
精神疾患による休職や退職が年々増加しており、「職場におけるメンタルケア」は社会的課題となっています。
産業医はその最前線に立ち、復職支援やストレスチェック対応を行う役割を果たします。
これがマスコミ、また、産業衛生業界からも積極的に発信され始めたのが一因かもしれません。
独立のしやすさ
臨床医として、専門科を標榜して独立(=開業)するには、それなりの修練が必要です。
臨床医としては、2年間の初期研修の後、3〜5年間の専攻医期間を経て専門医試験の受験資格が得られます。ただ、専門医資格の取得は専門家としてのスタート地点に立ったに過ぎず、そこから最低数年間かけて技術や知識を習得します。その後にようやく開業が視野に入ってきます。
一方、産業医は、臨床医のような「技術屋」と比較すると、習得するノウハウはシンプルです。1〜2年程度の修練期間を経て、独立する医師も多数います。
なんなら、フリーランスの嘱託産業医としては、資格を取得した後は、始めからひとりでの業務です。
決して、産業医業務が簡単と言っているわけではありません!
ただ、あくまで個人の考えですが、産業医の方が、一人前になるまでの道筋がイメージしやすいのです。臨床医でも産業医でも、根底にある、人(臨床現場では患者)との接し方や医学的な考え方は共通です。たとえ数年であっても本気で臨床医としての経験を積んだ医師ならば、すでに習得しているはずのものです。そこに上乗せするノウハウが、産業医の方が、臨床医よりも多岐に渡らず、シンプルな業務を淡々と掘り下げていくイメージです。
インターネットで産業医事務所を検索してみるとわかりますが、多くの事務所が数年以内に設立されています。
2000年代にはまだ独立産業医はめずらしく、目立ってきたのは直近10年くらいだと感じます。
永年資格というメリット
一般に誤解されているかもしれませんが、産業医資格は、一度取得すれば 一生有効です。
誤解の根本は、最も多くの産業医が保有している「日本医師会認定産業医」資格が更新制であることでしょう。
日本医師会認定産業医の期限が切れても、産業医であることに変わりありません。
事実、前述の法令上は更新の要否に関する記載はないのです。
「労働者の健康管理等を行うのに必要な医学に関する知識についての研修であって厚生労働大臣が指定する者(法人に限る。)が行うものを修了した者」 (労働安全衛生規則第14条第2項)
ただ、一般企業の採用担当者や衛生管理者からすると、この辺りは正確には認識されておらず、「産業医」=「日本医師会認定産業医」という認識をされている方が多いというのが実際のところです。
とはいえ、法的義務ではないのですから、更新しなくても実務上は問題ありません。
実際に、研修で私がお話しした数人の産業医科大の教官の先生方でも保有していない方が多くいらっしゃいました。なお、私も保有していません。
別記事でお話ししますが、目にみえるcertificationがないとなんとなく不安という方は、労働衛生コンサルタント(保健衛生)を取得するのも一つの手です。
まとめ:「今」だからこそ、将来の選択肢を増やす投資を
非医療系の大学院生と異なり、医師である大学院生にとって、大学院での4年間は、ただの研究期間ではないと捉えるべきです。
もちろん研究はしっかり行わなければなりませんが、(一部のガチ基礎系のラボを除き)それまで実質24時間労働で続けてきた医師にとって、トータルの熱量を保存したまま、そのほんの一部を研究以外に向けたとしても、十分な研究実績は積めると思います。
臨床から少し距離をおいたこの期間をどう使うかで、医師としてのキャリアの幅が変わってきます。
産業医資格は、将来的に臨床を離れた際や、子育て・介護などライフイベントの中でも柔軟な働き方ができるバックアップとして非常に強力なカードになりうるものです。
起業、副業、資格取得…その中の一つとして、産業医を検討してみてはいかがでしょうか?
Dr.しーぼると(MD, PhD)
外科医|疫学研究者|産業医・労働衛生コンサルタント